アルペン芦山第19歴史ハイキング大坂時代「大阪城周辺」

 平成20年「明日香村」から始まってもう19回になるアルペン芦山の大好評「歴史ハイキング」です。この日は淡路地震でJR線が一部止まったにもかかわらず20名の方が集まりました。
 ハイキングを企画して、ハイキングしながら楽しく歴史を解説してくれる東郷会員からの報告です。
 またA川さんからの写真の便りも届きました。

 <東郷さんの報告文は写真の下段にあります。写真はA川さんより> 

  

       

   

          

  

   アルペン芦山第19回歴史ハイキング大坂時代「大阪城周辺」報告

とき:平成25413日(土)快晴
参加者:アルペン芦山会員3名、一般参加者17名の計20

コース:JR玉造駅1000〜三光神社〜真田山陸軍墓地〜1030玉造稲荷神社(資料館見学)1100〜越中井〜カトリック玉造教会〜難波宮跡〜1200大阪城公園(昼食)1230〜玉造口〜豊国神社〜桜門〜1315天守閣1400〜山里丸跡〜大林神社〜金蔵〜元大阪市立博物館(陸軍第四師団司令部)〜桜門〜西の丸庭園前〜大手門1500(解散)〜大阪歴史博物館歩いた距離:約8km)

所感:
 早朝533頃、地震で目が覚める。TVを付けてしばらく様子を見ていると淡路島付近を震源とする震度6弱の地震。一瞬今日の歴史ハイクはどうなるのか嫌な気分に襲われた。
 普通ならば家から出かけるまでにはまだずいぶん早い時間であったが、7時過ぎのバスに乗りJR高槻駅に着くがJRは動いていない。阪急は徐行運転しているらしいと聞き、阪急高槻駅に向かう。電車は動いていた。
 JR大阪駅では環状線のみ大幅遅れで徐行運転。阪急・JRと乗り継いでいる間に、参加者からの問合せ・連絡(遅れ・不参加)が携帯電話及び自宅の電話器へ数件かかってきた。
 2時間かかってやっと玉造駅に集合時間(915)前の9時に到着。既に10名近くが待っていた。そこへ遅れている人たちからの電話が入り945には参加者全員20名が揃った。
 こんな日によく20名も集まっていただいたものである。
 その後は出発予定が少し遅れたが快晴の中、まず大坂夏の陣(1614年)の時、真田幸村が陣取った真田丸があった三光神社。境内には真田幸村の銅像とそばに大坂城への抜け穴といわれる洞窟が残っている。
 次に神社の西側の広大な陸軍墓地。当時の大坂が明治10年の西南戦争の兵站地となって戦死した人たちから日清・日露を経て太平洋戦争で亡くなった軍人の墓地である。今も遺族会の人たちが墓を守っている。
 その後、玉造稲荷神社へ向かう。伏見稲荷よりも創建が早く元稲荷と言われる。稲荷神社には狐がつきものであるがここは狐に代わって狛犬がいる。又玉造の地名の元になった古代の玉造部の住居がこのあたりにあったといわれている。
 神社内の玉造資料館を見学。それから大坂時代の細川忠興の屋敷跡の井戸。その後高山右近と細川ガラシャの銅像があるカトリック玉造教会。窓のステンドガラスがきれいである。
 次の難波宮跡は7世紀中頃からの前期と8世紀初めからの後期に分かれ、古くは5世紀前後の応神と仁徳天皇らの王宮の伝承がある。そこを後にして昭和6年に公園として整備された大阪城公園の南外濠を前にして昼食。
 その後玉造口から二の丸跡に入る。豊国神社、元は明治12年に明治天皇の命により、中ノ島(現在の大阪市役所の場所)に建てられ、その後市役所の拡張工事により現在地に移された。
 次の桜門、当時は二の丸、本丸に通じる門で1万石以上の大名しか通れなかった。門を入った正面にたこ石と呼ばれる36畳敷の大きさ石垣がある。そこを過ぎ、本丸跡から天守閣を見学。
 現在の天守閣は昭和6年に再建されたもので豊臣時代の天守閣を参考に江戸時代の天守閣の位置に建てられている。3代目の天守閣である。
 それから大坂夏の陣(1615年)の時、淀殿と秀頼が自害したといわれる山里丸跡を見て、天下普請であった江戸時代の大坂城の石垣(各藩受持ちの境界石垣に自藩の紋を刻んでいる)を説明。その後、昭和6年の大坂城再建を請け負った大林組が工事の無事を祈った大林神社や、江戸時代の御金蔵、元大阪市立博物館(陸軍第四師団司令部)を経て、大手門から出てそこで一応解散。
 帰る人と歴史博物館を観る人に分かれた。早朝の地震でどうなるかと思ったが、快晴の春日よりの中、途中で用事のため2人抜けたが、皆楽しくハイキングができました。

                             
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