萩往還マラニック大会(平成24年5月3日〜4日) 

 マラニックはマラソンとピクニックを併せた造語、歴史の道や名所をたずねたり地元の人とのふれあいもあります。萩往還マラニックは平成元年よりはじめられ全国的に知られています。アルペン芦山でも数年前から「酒蔵めぐり」とか「港街めぐり」とか辻本雅夫さんが先駆者となってはじめられアルペン芦山のユニークな催しとして続いています。
 このたび、辻本さんより今年(2012)の萩往還マラニックに参加の便りが届きました。
 140qを24時間ぶっ通しで走り続けたお話です。・・・でも最後の14秒が・・?・・・・楽しい記録文を有難う トミおじさん

                                                                 
                                                        <この写真は去年(2011)の完走ゴール>
 往還マラニック大会140キロを走ってきました。毛利氏の本藩があった萩と瀬戸内側の防府を結ぶ歴史の道です。2008年に70キロコースを走ったとき、140キロや250キロのコースの人が輝いて見えたものです。僕も140キロを走りたい! 昨年初めての距離に挑戦。なんとか完走してもう一度、と今年もエントリーしたわけです。

    〈山口→防府→山口〉
 方の6時、山口随一の観光スポット、瑠璃光寺の五重塔前をスタート。まずは防府へ。自動車が多く、歩道も走りにくくて、言わせてもらえればつまらない道です。前後して走っていた山陽小野田市の若い人と話しながら走ります。長い距離ではこれが大事。ペースも保たれ、楽に距離が踏めます。
 空腹を感じているとちょうどいい具合にうどんの食事エイドです。     
おにぎりと豚汁も無料サービスなのでおなかいっぱい。
 防府で折り返した頃から細かい雨が降り始め、山口に戻ったときにはかなり濡れていたのでシャツを着替え、ウインドブレーカーを着込みます。ここまで約50キロ。

                                   〈山口→萩〉
 もなく「歴史の道 萩往還」の道標に導かれ、山道に入ります。石畳の急坂を標高550メートルまで上り、それから長い長い車道の下り。ヘッドランプの光は雨粒に遮られ、路面をほとんど照らしません。車道の白線を頼りにひたすら前へ。風も出てきて寒さを感じます。やっと着いた佐々並のエイドステーションには収容バスが止まり、続行をあきらめた人が乗り込んでいます。あったかそうなので心引かれますが、まだまだやめるわけにはいかない。エイドを出ると、道を知らないという女性の先に立ってまた山道へ。次のエイドは明木。徐々に空が白んできてほっとします。まったくエイドはありがたい。夜中もこうしてランナーを支えてくれるからこそ、安心して長い距離を走れるのです。ここまで65キロ。

            〈萩→虎ケ崎〉
 の市内に入り、まず萩城址を通過し、海岸近くのチェックポイントへ。全部で5カ所にチェックポイントがあり、持参のカードをパンチしないと完走が認められません。ここのトイレで忘れ物らしいポーチを発見。先に出た人だろうと声を掛けながら次の食事場所虎ケ崎へ。結局持ち主は見つからず、ゴール後、大会本部に届けることにしました。追いかけたおかげで少しハイペースで走れたかも。
 虎ケ崎は火山噴出物でできています。ツバキの群落などがある観光スポットの一つ。今回の最遠所です。これからは一歩一歩ゴールに近づきますが距離はようやく95キロ。100キロマラソンならあとわずか頑張れば終わるのに、と道連れになった若い人とこぼし合います。でも100キロマラソンで95キロ地点といえば、息も絶え絶えというか、脚はほとんど進まないというか、ともかくひどい状態なのと比べ、まだまだ走れるなあ、とのんきなことを話しながら。

      〈虎ケ崎→佐々並〉
 利家の墓所がある東光寺前の茶店もチェックポイント。甘夏柑や夏ミカンのようかんなどを出してくださいます。気遣いがありがたい。今度来たときは買い物しますね。
 この先、大きなエイドがあり、70キロコースは折り返し点です。暑くなるのに備えて半パンや半袖シャツも送ってありますが、まだ雨は降ったりやんだりなので、着替えないで帰り道へ。
 ここからは行きの上りは下り、下りは上りです。70キロの人はさすがに元気でずんずん追い抜いていきます。行きには早朝で、エイド以外誰もいなかった明木は、萩焼イベントで屋台もたくさん出ています。明木を出て一升谷の長い上り。この頃から眠さがピークに。真っすぐ走れないのです。どんどん遅れます。こういうときは道連れを見つけて引っ張ってもらわねばなりません。走力の近そうな70キロの人を見つけました。
 48歳から走り始め、52歳が一番速かったという63歳。車道に出るまで一緒に走り、佐々並はもうすぐだ、と思って離れたのが間違いでした。また眠気が差し、前に進めません。遠かった佐々並エイド。このままでは時間的にぎりぎり。身体の底の方から疲れています。リタイヤしようかどうしようか。ここまで125キロ。

         〈佐々並→山口〉
 後の関門がもう一つ先にあります。そこまで行って、だめならあきらめよう、と思い定め、走りを再開。行きは真っ暗な中を走ってるので距離感がつかめません。まだまだかと思っていると、100メートル先に関門が。「間に合うぞ〜」の声にスピードアップ。3分ほど余して通過。しかしこれから1時間で峠を越え、8キロの道のりをゴールするのは元気なときでも楽ではない。上りは歩いて、下りは走る、いつものトレイルランニングを思い出して、しっかり走るしかありません。
 苦しい上りを終わり、ようやく下り道。石畳はまだ少し濡れていますが、テクニックの限りを尽くして走り下ります。ぐんぐん追い抜いて車道に飛び出します。しかしここからが難関でした。山道はあんなに速いのに舗装路になるとスピードが出ません。さっき追い抜いたランナーにも追い抜かれ、ゴール間近で腕時計が制限時間を告げました。でもスタートに時間差があるので、あと4分ほどは大丈夫なはず。最後の200メートルほどは上り坂。脚も折れよとばかり必死にゴールに走り込みました。完走!!
 結果はいかに。24時間00分14秒。制限時間を14秒オーバーでした。この悔しさはなかなかのものですね。(辻本雅夫 記)

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